神戸市内のCafeで開かれた「性について語ろう!」という、LGBT(=性的少数者)以外の人たちが主となって開かれたイベントに参加しましたので、そのレポートです。
参加の目的は、ふれんどりーKOBEが啓発を行う対象である、一般の皆さんが、性についてどのように考えているのかを知ることができる稀な機会と考え、それを知ることで今後の啓発の方法などを検討することです。
座談会の形式で開催され、参加された方々といろいろお話しすることができ、とても有意義だったと思います。
参加されたみなさん
主催者が女性だった影響もあるのか、女性の方が多く参加されていました。もちろん、男性の参加者もいます。中にはLGBTの当事者も見られました。年齢層は20~40代で、職業はアーティストや企業家、助産師、会社員など様々です。
性と性を取り巻く環境
性とは、エロスとは何でしょうか?それは、「萌え」です。萌えとは生命の生きる力そのものです。
性的な刺激や欲求は、生きていれば意識せずとも感じるものですし、食欲などと同様に湧いてくるもので生理現象に近いものです。そして、それは何かの動機になります。たとえば、恋愛。そのエネルギーたるや、人生を変えたり事件を起こしたり、すさまじいものがあります。そういう点で、生活や繁殖のために必要なエネルギーといえます。
しかし、「恥ずかしい」がそれを抑え込み、それが社会的な抑圧にもなっています。生活のエネルギーであるにもかかわらず、抑圧されている。開放できる場が極端に少ない。それは生き苦しさにつながっていないか。日々のストレスになっていないか?これを緩和することで、さらに豊かで幸せに暮せるようになるのではないか。
エロスという意味では、性や性に対する好みは、タイプの人や、性的な刺激を感じる部分が人それぞれ違っていて、多様性に富んでいます。それが普通です。
しかし、それは性に関することであり、加えて、人と違うということもあり、2重の恥ずかしさを感じる部分ではないでしょうか。
しかし、現在の社会環境では、こういった恥ずかしさが感じられる性のことについて、日々の生活では、隠していてもそれほど大きく生活には影響しないかもしれませんが、開放することができず、大きなストレスになっているのではないでしょうか。またそれが生きにくさにつながっているのではないでしょうか?
性の悩みを語る場が少ない
このイベントのタイトルを目にしたときに「とても珍しい!」と感じましたが、参加されていた皆さんも同様でした。また、女性のほうが、性について身近に感じているように思えました。生理や妊娠、お産という性に関する現象が日常の中にあるためかでしょうか。その分、悩みも多いように感じました。性について悩むという意味ではLGBTと共通といえます。
はんたいに、日常生活で、特に性の悩みを打ち明け、相談する場がほぼないことが語られていたことはとても印象に残っており、その点でもLGBTと共通していると感じています。
LGBTについて語ってみた
性の話題で盛り上がっている会場で、LGBTについて少しお話しさせていただきました。男女問わず、違和感なく受け入れてくださったと感じています。そもそも性の形はさまざまあるんだから、LGBTだってその一部にすぎない。と受け止められている風に感じています。
性癖と性別、セクシュアリティは異なるもの。確かにそうですが、それはLGBTの当事者、特に活動をされているみなさんのなかにある概念でしかないのかもしれません。ノンケ(=異性愛者、ストレートの皆さん)の中にもさまざまな性の形があること、またその違いの部分は「恥ずかしい」、場合によっては「軽蔑される」ものという認識であり、それとなく隠して生活していることが感じられました。
まとめ
LGBTに石を投げないで!
これは、私たちのLGBT活動のメッセージです。嫌うのは自由です。〇〇な人が嫌い、というように嫌いな人は誰にだってあります。ですが、嫌いな人に石を投げつけないでほしい。そういうメッセージです。LGBTの存在が社会的に知られ始めたのはまだまだ最近のことです。これはパレードやLGBTであることを公言する著名人による大きな功績と考えます。社会的な環境や制度が模索され、作られていくのはまだまだこれから。ノンケの皆さんも感じている性に関する窮屈感や生きにくさも合わせて整備を進めていくことも一つの方法ではないでしょうか?
また、エイズ、HIVの問題・性感染症についても、性の悩みの一つととらえることができると思います。「性を語る」場を通じ、特にエイズ・HIVが抱える社会的環境の問題について、議論し、理解を進めることができるのではないかと考えています。