虹コラム(2) 「差別とどう向き合うか」

性差別や人種差別、障がい者差別、疾病による差別など、新聞・ニュース、または著名人がSNSで発信し、差別に対する社会的な関心が高まっています。
「差別はダメ」、というのは当たり前のことですが、私は差別がなくなることはないと思います。

普通と差別はなくならない

例えば、見たことのない容姿の人に突然遭遇したり、聞いたことのない言語で突然声をかけられると、「怖い」と感じるのではないでしょうか。
知らない人に声をかけられたら少し身構える人もいるでしょう。

つまり、日常的ではないもの、自分とは異なるものは、普通ではなく、よくわからなくて怖いのです。この「怖い」という感情は差別の要因のひとつになります。

人は、生まれながらに集団に属していて、その文化や習慣、風俗を吸収して成長します。そこで培われた考え方や感じ方の基本は、大人になってからも、会社や地域などの組織や社会の影響を受け変化を続けます。
つまり、個人が属する集団が普通をつくり出していて、誰もが集団から普通を与えられ続けています。この普通の中に、差別が含まれていることがあります。

差別は普通から生まれているとすると、普通をなくさない限り差別をなくすことは出来ないのです。現状のままでは普通をなくすことはできないため、私は差別がなくなることはないと思っています。

共有で助長

共通の意識・価値観を持つ人が集まって、集団が生まれます。この中では違和感や怖さなども共有されて否定されることがないため、それが差別であっても「自分たちは正しい」という考えが集団を支配し、差別が助長されることが多いのではないでしょうか。
また、それぞれの集団に共通するものが相反するとき、集団対集団の対立が発生します。例えば性差や、貧富、社会的地位、思想、習慣、社会的な賛否による対立などです。

集団の対立は、その要因が個人の対立よりも増長されているため、個々人ではお互いの理解が可能であっても集団ではできなくなるのです。そのため、個人の対立に比べ集団対集団の対立は、関係を改善することが極めて難しくなります。

また集団は、第三者視点から捉えると、その共通するものに目を奪われ、構成している個々の人にはなかなか目がいかず、集団の中の個人は見えにくいという特徴があります。

 

コミュニケーションは人を守る

差別がダメな理由が、差別が原因で人が傷つけられていることだとすれば、問題は人が傷つくことです。原因となる差別をなくすことが難しくても、人が傷つかないようにすることで問題を解決すれば、差別自体をなくす必要はありません。

そして、「差別の問題は、個人が相手を理解することで解決できる。」というのが私の意見です。個人間では差別の問題が起こりにくく、一度差別の問題が生じてしまった場合でも、個人間のコミュニケーションで解決が可能だと思っています。

日本で差別の問題が生じた実例として、外国人の入浴拒否や入店拒否があります。もちろん、どのような経緯があったかを知らずにその行為を非難するのは危険ですが、その根底には「外国人はみんな○○だ。」というような集団単位での決めつけがあるように思えます。もし外国人の知り合いや友達が1人でもいたら、そのような決断に至らなかったはずです。 

また、HIV感染を理由に内定が取り消されたという事例もあります。ここでも、HIVに感染している人を集団として捉え、正しい知識を得ようとすることなく一方的に決めつけているように感じられます。相手である個人のことを知ろう、理解しようという動きがあれば、このような問題は起きません。 

私たちの普通から生じる差別は、完全にはなくすことができません。しかし、相手を理解するといった個人の関係を重視することで、誰かを傷つける差別の問題は解決できるはずです。解決するには、一人ひとりが様々な人と知り合い、触れ合っていくことが大事だと思います。